SSブログ

大学選びの基準とは [がんばれ受験生]

いつも「本音の進路指導」を心がけている。同じ質問を自分の子供がしてきたら、どう答えるか。自分の子供に相談されたときの答を、生徒には返さなければならない。

さて、この時期になると「大学はどこを選んだらいいでしょうか」意見を聞かれることが多い。

一般的な受験資料冊子(無料配布のもの)を見ると「学びたいことが学べる大学」を勧めていることが多い。その気持ちはよく理解できるし、僕としても半分は賛成だ。

しかし、大きな大学になるほど多くのジャンルの専門家を教員として迎えるために、受験生が考える程度の「やりたいこと」はほとんどの大学で学べる。

医師になりたいのに、教育系の学部しかない大学へ進めば医師免許はありえない。しかし、基礎研究であれば生物系・化学系の学科から医学部の大学院へ進学し、極端な話、医学博士を取ることは可能だ。しかし、医師になることはできない。でも「医学を学びたい」という志に答えることはできる。

意外に学問は自由だ。また、先生方の関係も大学内にはとどまらないので「先生のつて」を頼って他大学の他の学部(大学院)に進むことも、想像するよりは容易だ。

反面、簡単に切ることができないのは「大学の同窓会の関係」だ。有名なのは慶應義塾大学だが、多くの大学で卒業後の同窓会は実在し、ある意味、相互の互助関係さえ実在する。多くの場合、先輩は後輩を大切にする。チャンスもより多く回してくれる。その意味では「活躍している先輩の多い大学」がよい。

また、将来、自分が進みたい方向が高校時代に決められるのかという疑問も大きい。もちろん、文学部に入学したものの、志を変えて工学部の大学院を目指した学生も知っている。学部を終えて、一度就職してから新しいジャンルを学び直すために学部と少し毛色の変わった大学院に進学した学生も知っている。

そうすると。僕が大学の選択に悩んだ生徒へのアドバイスは簡単だ。

「難易度相応」

学びたいことを選ぶのに悩むより、受験勉強したほうが得だ。
ひとつだけ、やりたくもない学部を選択することだけは無駄だ。そんなことはないとは思うが。
nice!(0)  コメント(0) 

国公立大学の再編がはじまる。 [がんばれ受験生]

「入試制度の変更」に関連して記事を書いていたら、制度の変更に便乗する形で国公立大学の統合・再編が進行しそうだとの情報がはいってきた。

もとは「Diamond online」の記事なので正規ルートに乗った情報のようだ。

最も大きなものは、名古屋大学と岐阜大学の統合のようだ。

名古屋大学は「誰もが知っている」名古屋の超一流大学だ。国立大学では「旧七帝大」とひとくくりにされる北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州大学」の中の一つで、ノーベル物理学賞を受賞した南部・小林・益川先生のチームがこの大学の出身であることも有名だ。予算や人材の規模も日本で有数の大学と思って良い。

ここと統合が決定した岐阜大学は、大学の知見を一般社会へフィードバックすることに熱心な活動をしている、「地域に根ざした」大学と言って良い。入試難易度も「相応」で勉強しない高校生がまぐれで入学できる大学ではない。

これらが一緒になることに合意した。

いろいろむずかしい問題は発生してくるだろうが、大学の規模が大きくなれば研究も多様な人材を集めて多くの観点から研究できるようになるし、予算の規模も大きくなる。留学生の対応も自由度が増し、学生の教育でもよりレベルの高いものが提供できるようになる。

やりようではあるが、期待も膨らんでくる。


大学入試の改革に合わせるように、このような統合は増えてくる。東海地区はこの統合で受験地図が大きく変わってくる。

あ、それでも、高校生は注意を要する。岐阜大学入学>名古屋大学のサークルなどでは「いわれのない差別」を受ける可能性が高い。某大学では(今はずいぶん変わったと思うが、)理工学部の学生は差別対象となったし、いまでも別な某大学では「所沢キャンパス」の学生がいわれのない差別を受けているらしい。

やはり、受験は正面突破。難しい入り口から入れるように努力をするべきだ。
nice!(0)  コメント(0) 

「なんで?」と考える習慣をつけよう [がんばれ受験生]

受験生だけでなく一般にも言えることかもしれない。

数学の例で典型的な例がある。

「必要条件」と「十分条件」がある。ま、論証の単元名がつくのだが。これがセンター試験などの問題となると四択の選択肢となる。

1 必要十分条件である。
2 必要条件であるが、十分条件ではない。
3 十分条件であるが、必要条件ではない。
4 必要条件でも十分条件でもない。

問題はこんな感じとなる。

「P:xは x^2-3x+2=0 の解である」は「Q:xは x^2-4=0 の解である」PはQであるための何条件であるか。

こんな感じの設問に対し、えいやっと答を書く高校生は多い。確かに四択なので適当に答えても1/4の確率で正解する。しかし、こういう高校生は伸びない。

どの教科・問題でも現象面だけをとらえ、正解が「あたれば」いいやと考える高校生(だけでないが)は少なくない。

しかし、問題は作問者から受験生へのメッセージである。作問者が何を伝え、何を考えてほしいかが「読めない」受験生は「あたった!はずれた!」のレベルから進歩しない。

普段から「なんでその答になるのか」と考える習慣をつけよう。「深い理解」はそこからしか到達できない。受験の難度があがるほど、作問者は「そう考える理由」を問いてくる。浅はかな現象面を「記憶して」正答にたどり着こうなどという根性では作問者の意図にたどり着くことはできない。

逆に「なんで?」と考えることは「考える時間を必要とする」が、その考えは普遍性も強く、結果として合理的な受験勉強であったり高得点につながるのである。

安易な姿勢は自分のためにならない。
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。